福知山市

福知山城

 天正7年頃、丹波国を平定した明智光秀がこの地に新たに福知山城を築城しました。
 優れた治水工事と免税処置で城下に商都のにぎわいを生み出すことに成功したといわれ、多くの領民から良君として慕われました。市内にある御霊神社では、今も明智光秀を祀っています。
 城は明治初めの廃城令により、石垣と一部の遺構を除いた大部分が取り壊されましたが、昭和61年(1986年)に市民の瓦一枚運動により、3層4階の天守閣が復元されました。
 石垣は自然石を積み上げる野面積みで、五輪塔などの石造物が転用石として使われているのが特徴です。
 隣接する福知山城公園内の佐藤太清記念美術館の2階には「福知山光秀ミュージアム」が2021年1月11日(月・祝)まで期間限定でオープンしており、ドラマの時代考証を手掛ける小和田哲男先生監修のパネルや映像展示のほか、光秀が定めた「家中軍法」などの一級資料が年に10回入れ替わり公開されます。

亀岡市

丹波亀山城跡

 戦国時代末期、明智光秀が織田信長の命により、丹波亀山城を築き、丹波平定の拠点としました。
 丹波平定後は北の保津川を天然の堀として活用し、本丸を北寄りに縄張りして、近隣の村民を水害の少ない安全な段丘に移住させました。
 この城下町が現代の亀岡のまちの礎となっています。
「本能寺の変」の際、光秀はこの城から本能寺に向けて出陣しています。
 現在は宗教法人大本の本部となっていますが、総合受付に申し出れば見学ができます。
 堀跡は南郷公園として市民に親しまれており、明智光秀公像が建立されています。
 JR亀岡駅前の「サンガスタジアム by KYOCERA」内には「麒麟がくる 京都大河ドラマ館」が2021年1月11日(月・祝)まで期間限定でオープンしており、大河ドラマ「麒麟がくる」の衣装や小道具、メイキング映像の上映、ストーリーやキャストの紹介パネル展示など、大河ドラマの世界観を体験できるほか、「光秀は、何者か」をテーマに、京都大河ドラマ館限定の明智光秀の謎に迫る歴史展示も公開されています。
 また、大河ドラマ関連グッズや京都・亀岡の特産品などが買える土産品販売所「光秀大河物産館」や飲食可能な休憩スペースが併設されています。

舞鶴市

田辺城跡(舞鶴公園)

 明智光秀の盟友・細川藤孝(幽斎)が天正7年に田辺城を築城しました。
 関ヶ原の戦いの前哨戦「田辺城の戦い」では、15,000人の石田三成軍を相手に、52日間にわたり籠城し、城を守り抜きました。
 現在は「舞鶴公園」として整備されており、復元された田辺城城門内にある資料館では、細川幽斎をはじめ歴代の城主や田辺城290年の歴史と城下町の暮らしをパネルや模型で紹介されています。

関連スポット

  • 田辺城跡(舞鶴公園)
  • 田辺城資料館

綾部市

山家城址公園

 戦国時代の山家城は、標高232mの甲ヶ峯山頂に築城され、和久佐衛門佐(佐衛門大夫)が居城にしたと伝わっています。明智光秀の丹波攻めの際に和久氏は滅ぼされ、その後、谷衛友がその麓に山家城(のちの山家陣屋)を築城しました。
 衛友は関ヶ原の戦いで、歌道の師匠であった細川幽斎の田辺城の包囲に加わりましたが、出陣した衛友の鉄砲隊はすべて「空砲」でした。そのため、敗戦後も藩の存続ができたとされています。
 現在、城跡は山家城址公園として整備されており、桜や梅、紅葉など四季折々の自然が楽しめます。

宮津市

盛林寺

 織田信長の命により、丹後国へ侵攻していた細川藤孝(幽斎)は、一色氏の反撃に遭い苦戦を強いられましたが、明智光秀の加勢もあり、丹後国の平定を成功させ、天正7年に信長から丹後国の領有を認められました。
 藤孝は八幡山城を拠点とし、平定後は平城の宮津城を居城としました。
 八幡山城は丹後国でも最大級の山城で、現在は山頂付近に城跡が残っています。
 宮津城の遺構は近代化の波にのまれ姿を消していきましたが、宮津市立宮津放学校に移築された太鼓門が残っています。
 天正5年創建の盛林寺には光秀の首塚があり、山崎の合戦で敗れた後、豊臣秀吉により本能寺に晒された光秀の首が娘である玉の元に届けられ供養されたものと伝えられています。

関連スポット

  • 八幡山城跡
  • 宮津城太鼓門
  • 盛林寺
  • 細川ガラシャ婦人像
  • 天橋立

長岡京市

勝竜寺城公園

 勝龍寺城は、織田信長の命を受けた細川藤孝(幽斎)により、当時最先端の「石垣・瓦・天守」を備えた城郭に改修されました。
 光秀の娘である玉(ガラシャ)が、当時の城主である細川藤孝(幽斎)の息子である忠興に輿入れした場所で、天正10年の山崎の戦いでは敗北した光秀はこの城に逃げ込み、最期の夜を過ごしました。
 現在は公園として整備されており、展示室では、光秀や玉など、ゆかりの人物の生涯をパネルや映像で紹介しています。
 また、光秀が坂本城へ向けて脱出した枡形虎口の北門には当時の石垣が今も遺っています。市内3か所の観光案内所では、御城印も販売中。

関連スポット

  • 勝竜寺城公園
  • 勝龍寺城土塁、空堀跡
  • 恵解山古墳
  • 長岡天満宮
  • 寂照院

京丹後市

細川ガラシャ隠棲地の碑

 明智光秀の三女として生まれた玉(ガラシャ)は天正6年に細川藤孝(幽斎)の息子である忠興に嫁ぎましたが、本能寺の変の後、逆臣の娘となった玉が狙われないよう、居城であった宮津城から京丹後にある味土野に移され幽閉されました。
 約2年間の隠棲中、玉は侍女の一人からキリスト教の話を聞き、信仰に救いを求めるようになります。やがて洗礼を受け、「ガラシャ」という名を授かりました。
 ガラシャが2年余りを過ごした女城跡は小高い丘の上にあり、「細川忠興夫人隠棲地」と刻まれた記念碑があります。

南丹市

八木城跡

 八木城は丹波守護代内藤氏の居城で、黒井城(兵庫県丹波市)、八上城(兵庫県丹波篠山市)と並ぶ丹波三大山城のひとつで、15~16世紀に丹波地方の中心として機能していましたが、明智光秀による丹波攻略で天正7年に落城しました。
 現在は石垣の一部や曲輪跡が山頂部・尾根づたいや谷間に残り、当時の雄大な様子を伝えています。
 城跡を含む城山一帯は優れた自然環境などから「京都の自然200選(歴史的環境部門)」に選定されており、登山道を利用して本丸跡まで登ることができます。

関連スポット

  • 八木城跡

大山崎町

山崎合戦古戦場跡(天王山夢ほたる公園)

 大山崎町は、明智光秀と羽柴(豊臣)秀吉が戦った山崎合戦ゆかりの地です。合戦時、秀吉が本町にある天王山を先に占拠したことで有利となり、戦いに勝利したと伝えられています。
 その後勝負の代名詞として使われるようになった天王山は、現在はハイキングコースとして地元の人やハイカーたちに親しまれています。
 大山崎町には他にも山崎合戦古戦場跡(天王山夢ほたる公園)や秀吉ゆかりの寺とされる宝積寺などのスポットがあり、みどころが数多くある場所となっています。

関連スポット

  • 山崎合戦古戦場跡(天王山夢ほたる公園)
  • 旗立松展望台(天王山ハイキングコース)
  • 宝積寺
  • 明智光秀本陣跡(境野一号墳)
  • 大山崎町歴史資料館

京丹波町

玉雲寺

 須知城は南北朝時代に須知氏が築城した標高約380mにある山城で、天正7年に明智光秀の軍勢に攻略され落城しました。山は急峻で自然の要塞となっており、丹波における拠点の一つになったとされています。
 現在も光秀が改修した石垣跡が残っています。
 応永23年に開山・創建された丹波屈指の曹洞宗の禅寺である玉雲寺は、光秀による須知城攻撃によって寺の建物や宝物がほとんど焼失してしまいました。現代の境内・本堂・庫裏は光秀が禅氏の遺徳を尊崇し、天正8年に再興したもので、光秀の位牌があるほか、明智家から寺にあてた古文書が残っています。

関連スポット

  • 須知城跡
  • 玉雲寺